書きたいから書きました。読まなくていいですが、読むなら命に関わるほど長いので覚悟してください。
セプター名
器用貧乏な風属性が好きなので、前作までの風地変スペルだった「ウェザリング」にしました。
37歳になってようやく物心がついてきたのか、人前で「ウェザリングです」と名乗るのも呼ばれるのも恥ずかしくなってきました。特に娘を連れた状態でセプターに会った時「ウェザリングさん」と呼ばれると、分かってるくせに毎回「ウェザリングさんっておとうさんのこと?」とニヤニヤしながら聞かれるので、死にたくなります。
昔DSセプト部というサイトをやっていたので「部長」と呼んでくれる人もいるんですが、やはり娘の前で「部長」と呼ばれると、分かってるくせに毎回「社長から降格したの?」とニヤニヤしながら聞かれるので、死にたくなります。
略歴
1981年1月、山形県生まれ。高校卒業後に進学のため上京し、テキストサイトやウルティマオンラインをやりながら片手間で適当に就職しました。そしたら就職先がいきなり早期退職募集をはじめる始末だったので、アイタタタ……と転職先を探していたら、電話が鳴りました。父からでした。
「心臓が悪くて入院している。もうダメかもしれない。会社を継いで欲しい」
どのみち早期退職に応募するつもりだったのでタイミングが良いというか何というか。それでも簡単に「わかった」と言えず悩んだのは、当時、長い遠距離恋愛期間の末ようやく都内に住めることになった彼女の存在があったからです。まだ都内にいたいという思いもあったので、転職先の候補も見つけていた段階でした。どうしようか彼女に相談したら、最後にはケンカになってしまったので、半同棲っぽくなってたのを解消して、2週間くらいろくに電話もせずひとりで考えました。しかし結論を出せません。
そんな日が続いていた、ある晩のことです。どうしても父のこと、彼女のことを考えてしまい、なかなか寝つけずベッドの中でもだえ苦しんでいました。しばらくのたうち回り、悪いとは思いながらも真夜中に彼女に電話したが、出ない。気が狂いそうになって自転車に乗って彼女の部屋の前に辿り着き、呼び鈴を押しました。しばらく間があって「はーい……えっ?」おれの顔を見て驚く彼女。玄関には知らない男物の靴がありました。
翌朝、既にもらっていた内定先に断りの電話を入れ、いくつかあった面接の予定をキャンセルし、アパート解約の手続きをしました。それから1週間ほど毎晩友達と飲み歩き、カラオケで朝まで歌いまくり (音痴ですがみんな優しく無視してくれました)、引っ越しを手配し、新幹線を予約し、無事に引っ越しを終えて鍵を返しました。一番仲が良かった友達が駅まで見送りに来てくれて、おれの目の前で盛大に転び、餞別に持ってきてくれた酒の瓶を割ってしまい、後で必ず送ると言われましたが、そういえばあれ送ってもらってないな? これ書いてて今頃思い出しました。
思い出すといえば、父は桃が好きでした。桃缶をよく買っていたのですが、普通の桃も好きでした。新幹線の中でひとり、こういうときには何でもないことを思い出しちゃうのかな? なんて思いながら、着いたら病院に行く前に桃を買っていこうと決めました。やがて地元の駅につき、タクシーをスーパーの駐車場に待たせて「桃って、心臓に悪かったりしないよな?」なんて変な心配をしながら買い、病院に行きました。
けれども、受付で父の病室を尋ねると、もう退院したとのこと。マジか。そこまで悪いのか。ちょっと信じられないというか、信じたくないのだけれど、ほんとにヤバくて手の施しようがなくて、自宅で最期を迎えたくて無理矢理退院したということなんじゃないか。病院で待機してる別のタクシーに乗り込んだおれは、最初は我慢していたのですが、途中でちょっと涙がこぼれてしまったら、もう止まりません。号泣でした。自宅が近づくにつれて、幼い日に出かけた思い出だとか、自転車の補助輪を外す練習をした公園とか、どんどん頭の中を駆け巡ります。バカみたいにボロボロ涙を流しながらタクシーを降りると、家から煙が上がっていました。庭に父がいて、おれは聞きました。
「何してんの?」
上半身裸の父が肉を焼いていました。
「快気祝い。バーベキュー」
桃を投げつけて飲みに行きました。
仕事
父の心臓は治ったんですが、そのあと酒の飲み過ぎで肝臓がんになって、結局2009年に亡くなりました。そのため祖父が創業し、父が少し大きくした工場を、28歳で引き継ぐことになりました。
うちの工場は山形にあり、お寺や神社などの和風建築で使われる装飾品を作っています。建築関係の会社が建物の新築や改築をする際に、部品としてうちの製品が必要になることがあるので、建築関係の取引先に対して営業しています。県内の取引先は少なくて、日本全国、ごくたまに海外に売ったりしています。
おれ自身は都内から地元に戻って、最初はハンマーや金属ハサミを持ってトンカントンカン、シャチホコや家紋などを作っていました。父が亡くなった後は、経営の傍ら、営業の一員として取引先を回っています。図面を広げて打ち合わせをしたり、作業着とヘルメット姿で屋根に上って建物の細部の採寸をしたり、お客さんと親睦を深めたりするのが仕事です。
そんなわけで、全国あちこちでお酒を飲む機会が多いです。これは確かに肝臓やばいわ……。
カルドセプトとの出会い
俺は友人Oの彼女YからPS2のコントローラーを受け取り、○ボタンを押した。ウィンドシールドだ。しかしYの選択はクレイモアではなくフュージョン。やっぱりそっちか。俺のホーリーラマは爆発四散し、レベル4の風領地が奪われてしまった。Oが笑いながら聞いてくる。
「今のは絶対グレアムだろ。何で使わなかったの?」
「次のターンにグレアムを持たせたナイトを移動させて、お前のレベル5を落としたかったからだよ!」
「今ので支援効果なくなったから落とせないよね。バカなの?」
「うるせえ!」
あの頃の俺達は、毎週木曜になるとOの部屋に集まって遊んでいた。MtGなど他のゲームで遊ぶこともあったが、たしか2003年の春頃、Oがカルドセプトセカンド・エキスパンションを買ってからは、かなりの頻度でカルドセプト漬けになっていた。
はじめは初期ブックに毛の生えたようなブックで、連鎖の意味さえよく分からず、高額領地を作って偶然踏むのを待つようなゲームばかりだった。それでもカードイラストの美しさ、音楽の素晴らしさ、ファンタジックな世界観、カード・ボード・ダイスといったゲーム好きの心をくすぐる要素によって、俺達は毎回ホーリーワードでハメたりハメられたりしながら笑いあっていた。
しかし徐々にカードが揃い始めた頃、別の友人Wが突然、それまでとは全く段違いの強さを発揮するようになった。何故だか知らないが、Wが対戦に加わると、俺のレベル1の領地が次々に無くなる。そしてWが何やらよく分からないスペルを使うと、総魔力にえらい差がついていて、あっという間に負けてしまう。何が起こったのか? はじめは口を割らなかったWだが、Oが「言わねえとお前は二度とウチに入れん」と宣告したことにより、観念してその名を白状した。
重力制御。それがWの秘密だった。
それから俺達はさらにカルドセプトにハマっていった。当時はオンライン対戦もなく、友人達とOの家で遊ぶばかり。いくらネットで知識を得たとしても、スキルの向上には限界がある。それでもカルドセプトは楽しかった。とても。
だがそんな日々も終わりを迎える。おれが地元に帰ることになったからだ。Oは引っ越しの荷造りを手伝ってくれながら言った。「ドリキャス版ならオンラインで対戦できるらしいよ。よくわかんねーけど」と。だが俺はこう答えた。「いや、やめとく。お前の家で遊ぶのが楽しかったんだし、何より、お前らと会えないことを余計に思い出して寂しくなるから」
それよりたまに会って、また遊ぼうぜ。そんな約束をして、俺はOと握手をした。二人ともそんな柄じゃなかったが、なんとなく、その時はそうするのが正しい気がしたのだった。
ケルピーさん
あれは地元に戻って実家の工場で働きはじめた最初の冬のことでした。高校時代の同級生、ハルヒコ君からスノボに誘われました。超々がつく初心者だったおれですが、何度か仕事帰りに滑りに行き、命からがら降りてこられる程度には成長できました。それもこれも、おれを勇気づけてくれたハルヒコ君のおかげです。彼は言いました。
「大丈夫だ。このスキー場では今まで20人くらいしか死んでない」
そんな優しい彼が、ある日、ちょっと遠出をしてスノボをしようと提案してきました。彼は実家の農園を継いだのですが、その前に地元の農林大学校に通っていて、そのとき知り合った友達とスノボに行く約束をしたということでした。彼の友達なら安心だ。そう思って一緒に車を走らせてスキー場に着くと、待っていたのは女の子2人組でした。
「えっ、友達って女子なの?」
「ああ、あの子が俺の彼女。そっちがその友人」
ハルヒコ君の彼女の友人に挨拶しました。
「はじめまして、ウェザリングです」
「ケルピーはめ五郎と申します」
「お互い変な名前ですね」
「余計なお世話です。変なのはウェザリングさんだけだと思います」
このように意気投合した我々は、やがて同盟を組んで同じ領地に住むようになりました。だんだん書いてて面倒くさくなりましたので、これで終わります。
DSセプト部
2008年、おれはしばらく人狼BBSにハマっていたのですが、ジムゾンで狂COしたのが裏目に出て狼を特定されて負けてしまったので、ふて腐れてはてなブックマークでゲーム関係の記事を探して読んでいました。すると見つけたのが「カルドセプトDS発売」という情報でした。
それより前、Xbox360のカルドセプトサーガは、当時本体ごと買おうと思って金を貯めていたのですが、何らかの事情でやや高価な指輪を購入しなければならなくなり、しょうがなく予約をキャンセルしてまた後日にお金が貯まったら買おうと思っていたら、バグ祭りで大変な事態になり、おれは戦慄した。そのあとも結婚したりローマに旅行したり色々あったので買えなかったので、サーガにはリアルタイムで触れないまま幾星霜。我はいつしかセプターとしての矜持を失い、今まさに宇宙は終焉を迎えんとしていた。
なのでDS版の発売を知り、おれは大喜びでした。昔一緒に遊んだ東京の友達とはしばらく疎遠になっていたし、地元の友達はあまりゲーマーはいなかったので、オンライン対戦もできるというのも嬉しいポイントでした。
ただ思ったのは、一緒に遊ぶセプター仲間が欲しいなということでした。というのも、人狼BBSや、その前にオンライン対戦で少しだけ遊んでいたウイニングイレブンなどでは、単に対戦するばかりで、オフ会に出たり、オンラインで友達を作ったりしてなかったからです。それでオンラインコミュニティを作って、一緒に遊べる仲間を募集することにしました。それがDSセプト部です。
セプト部は最初、20〜30人くらい集まれば良いなと思ってスタートしましたが、想定以上の大所帯となりました。ユニークユーザー数で600オーバー、アクティブユーザー数で最盛期150〜200人くらい。毎晩チャットではカルド談義や雑談が行われ、今のカルドブログのような日記機能では毎日たくさんの記事が更新され、大会、オフ会、ちょっと変わった対戦会、チーム戦、同盟トーナメント、そして数々のオンライン企画が次々と立ち上がりました。カルドセプトのゲームデザイナーである神宮さんやプロデューサーの武重さんに、ジャムズワークス社内で6時間くらいインタビューするという、なぜ実現したのか今になってみるとよくわからない事件もありました。
おれが途中で父を亡くして、実家の工場のヒラ社員から後継者になってしまったので、なんだかめちゃめちゃ忙しくなって運営が疎かになったりストレスでやられたりした時期もありましたが、いろんな人に支えられて、助けられて、次回作の3DS版が出るまで約4年、何とか走りきることができました。運営に疲れて右往左往した時もあったけど、今になれば良い思い出です。迷惑をかけた人もたくさんいるけど、ほんと感謝してます。
このDSセプト部の最盛期が、1人のセプターとしてもいちばん楽しかった時期でした。またやりたいなと思うこともしばしばですが、3DS版でもリボルトでも、ついにそのパワーは出ないままでした。やりたい気持ちはあったんですが……。
3DS版からリボルト発売、そして現在まで
オンラインコミュニティの運営は諦めてしまったのですが、オフラインで大会をやるようになりました。
DS時代、最初にオリセンで代々木杯を開催したのは、おれじゃなくEvyさんでした。そのあとEvyさんから団体コードをおれが引き継いで、年イチくらいで大会をやっています。都内で大人数が入れて安く使える施設は貴重なので、使い勝手はそれほど良くないのですが、それからずっとオリセンを使い続けています。
何度もいろんな大会をやらせてもらいましたが、個人的に一番大成功だったと思っているのは、3DS版の女神杯です。全国各地のセプター達に協力してもらって、仙台・福島・埼玉・東京・横浜・名古屋・京都・大阪・広島・福岡で予選大会を行い、その勝者が東京に集まって決勝大会をやるという、今考えてもちょっと頭のおかしい企画でした。
リボルト発売は嬉しかったですが、発売後はしばらく、本気で打ち込めない日々が続きました。公式全国大会が発表されないこと、周囲のセプター達が離れてしまったこと、自分自身もシステムの大幅な変更に違和感を覚えてあまりやり込む気にならなかったこと、などなどいろんな言い訳がありますが、それに加えて仕事面でも今までウチの会社を支えてくれていたベテラン営業が定年退職し、おれが今まで以上に仕事をする必要が出てきたこともあります。
そんなおれに転機が訪れます。今年5月に開催された、ぱんださん開催の代々木オフに出場することになったことです。
全国的にも寂しくなりつつあるカルドセプト界において、最後の火種を絶やさぬため、毎月オフを開催しているぱんださん。その彼が、おれに1人のセプターとして、大会に本気で挑めと求めている。おれにはこの要求に応じる義務がある。そう思って、おれは立ち上がりました。
まず大会前に少しでも腕を磨くため、カルスタで何度も対戦しましたが、はじめは酷いものでした。何しろカードのコストも効果もろくに覚えていなくて、上げた土地をすぐ落とされたり、使う必要のないアイテムを使ったり。ジャンクション19連敗というひどい記録を作ったりもしましたが、大会を迎えることには何とか、少しだけ勝つことができるようになりました。
そして迎えた代々木オフ。結果は1勝。オフレポも書きました。で、そこにも書いたのですが……。
オフに出るとオフ開催したくなるから困る
— 部長 (@weathering) May 5, 2018
はじめはシステムの大幅変更に慣れずに困惑していたカルドセプトリボルトというゲームを、ようやくちょっとだけ理解することができて、カルドの楽しさを思い出してきました。おかげで1人のセプターとしてリボルトを楽しむだけでなく、オフ会やオンライン大会を開催したいという気力も復活し、今では胸を張って「セプターです」と、誰もいない部屋でなら言えるようになってきました。誰かいたら恥ずかしくて嫌です。職場バレとかしたら死んでしまいます。
そんな感じの今日この頃です。
私にとってカルドセプトとは
人生にがっつり食い込んできた第2の青春です。
最後に
カルドセプトに関わる全ての人が好きです。
今プレイしてない人も、またいつか遊びましょう。
いつでも待ってます、と言えるように、おれ自身も続けていきたいです。
おわり