おそらく自分は今日が精一杯カルドセプトができる最後の日だと思う。
多分人生で一番長く時間を費やして遊んできたゲームで感慨深いものがある。
本日の対戦相手の方々にも同じとまではいかなくても、似たような境遇の方は多いことだろう。
そのことを寂しく思う方もいれば、何故か安堵する気持ちの人もいるものと思う。
最終的なセプターの自己評価とゲームに対する感謝を述べてから今日の戦いに臨みたい。
私は強いプレイヤーではなかった。それは今もそうだ。
計算はできないし、広く盤面を見る力もない。
後から見ればミスの連続でお前は何年このゲームをやってんだと思うことは数しれない。
勝つのが好きで、勝つと気持ちいいからひたすらカルドセプトを遊んでいた。
負ければイライラして感情を爆発させたし、寝れないこともあった。
今思えばだから弱かったんだと思う。
その時どきの勝率や勝利を意識しすぎて、思い切ったプレイングや自分にしかない強みや、なぜ自分がこのゲームをやっているかを深く考えたとがほとんどない。
負けると悔しいからいざという場面ではどうしても似たりよったりのブックを使ってきた。
特にリボルトに関して言うと突き詰めていけばだいたい型が決まってきて自由度が高いとはいいづらい環境ではあったと思う。
ただそれは言い訳に過ぎず、自分自身がどういうプレイヤーで、どういうプレイがわたしらしいかということが最終日に結論が出ない。
自分の持ち味はなんだろう?
自分の得意な型はなんだったのだろう?
自分の好きなカードは、好きなマップは、好きな盤面は。
勝つことに執着をして純粋に自分のカルドセプトをしてこなかったように思う。
負けたくない、勝ちたいというのは十分な動機だったとは思うし、根底にある部分ではあるのだが、自分の考えるゲームの強い人物像とは少し外れているのだ。
早指しカルドやRTAや無属性縛りなどリボルトでいくらか苦行をこなして打ち筋は多少マシにはなったが、それがゲームに真剣に向き合う行為だったかと言われると少しあやしい。
でも、がむしゃらにやるしかなかった。
負けないために勝ちたいから自分はやってきたと思う。
自分よりたくさん時間をかけて遊んだ人はいるだろうが、自分もブラックな環境下で仕事をしながら相当時間を費やしていた。
もう少し自分の成長に対する視点や成長した未来の自分に対する視点を持てていたら今こんな気持ちにはならなかったのかもしれない。
だから今後この経験を別の機会に活かしたいと思う。
私は結局上手くはなれなかったが、カルドセプトは多くの思い出と仲間を与えてくれた。オンラインでこれだけの知人友人ができたゲームはない。
今後もいろんなゲームでその仲間とは繋がっていけると思うし、一つの教訓を残してくれた。
この教訓を私の本業で活かしていくものとしたい。
昨今ではゲーム性よりもビジュアルや如何に面白そうに見えるかを意識されて売れては消え、売れては消えを繰り返しているように思う。
だがカルドセプトはゲーム性で言えば本当に優れていたと思う。
私は夢中になって遊んでこれたのはこのゲームがひとえに面白かったからだと思う。
今一度このゲームを制作してくださった大宮ソフトのスタッフの方々。
オンライン環境をこの時期まで途絶えることなく用意してくださった任天堂に感謝をいたします。
ありがとうございました。